株式会社アルナ aluna

後悔


 

 

 

皆様こんにちは

 

山本でございます

 

本日は先日の記事で申し上げた、1910年代から1930年代の通貨制度について、荒く簡単に書いていこうと思いますが、私後悔しています。書くといったので書きますが、まとめられていません。ご容赦ください

 1910年代は、第二次産業革命によって世界的に電力・石油の登場による重化学工業が発達していった流れが中国でも同様に発生し、大きな転換期となる時期です。

 

 中国に限らず、産業革命以前は農業をメインとする人々が多く存在します。産業革命以降は、電力・機械を使用し、製品の大量生産が可能となった為、農業から工業へ人々の働き方が変化していきました。しかし、その際中国では、他の国と比べそのスピードが遅かったのです。原因としては、その国土が広く、地域ごとに国が管理しきれない程の貨幣が存在していたということがありました。日本・及び世界的に19世紀・20世紀には、中央集権の下、金本位制度をメインとした兌換紙幣を発行しておりましたが、中国では日本。南米からの銀の流入により、各地域で銀をメインとした貨幣制度がとられていました。

 

1910年代にやっと、銀本位制度を確立してから中国の産業革命がスタートしました。この時点で他国と、2,30年の開きがあります。日清戦争であったり、辛亥革命から起こった中華民国の建国であったり、国内の混乱も原因としてあります。

 

そんな形で1910年代以降、ドイツからの協力者(すいませんこちら名前は忘れました)のアドバイスもあり、重化学工業への転換が中国でも発生し、近代化が進んでいきました。上海や青島といった港町は、この時に港町として設定され、貿易の中心地として栄えた結果、現在の中国においても工業都市として発展していますね。

 

 

 その後、世界恐慌を原因とした米国の銀買い上げ法により、銀価格が世界的に値上がりしたため、貨幣から管理通貨制度の法貨(銀準備率60%)に移行せざるを得ず、1930年代に中国は経済的な混乱期になりました。しかしこれは結果的に、中国国内の通貨を一元化し、国内の銀を政府が保有する金融改革となりました。

 

世界恐慌がきっかけで回りまわって、中国国内の経済体制が近代化するために必要な国内の流通貨幣の把握を結果的に行うことになっていったということですね。1910年代~40年代までは世界的に、戦争による特需が発生していたため、中国国内の景気も1940年代には、上り調子になっていきました。

 

そんなこんなで現在の中国の発展の礎となっていったという感じですね。いやぁ説明するのが難しいですね。ちゃんとまとめられないです。あと最低でも2000文字とちゃんとした勉強が必要ですね。この説明を昨日しようと決めた自分を殴りたいです。

 

いずれリベンジします。その際は宜しくお願い致します。

それでは本日も弊社の額縁を紹介させて頂きます

今回、紹介させていただくのはこちら “ APS-01 ”になります。




こちら、カラーバリエーションは、
①くるみ
②ホワイトオーク
③ホワイト
      の3色で非常に落ち着いた額縁になっています。
 手ぬぐい額としても使用されているので、対応できる作品の幅が広いというのが強みですね。

こちら見え幅45㎜と非常に主張が強く、存在感を感じさせるフレームですね。


フレームに関しては 上写真(ホワイトオーク)のようになっています。
こちら、樹脂フレームとなっており、木目調がまたナチュラルな印象を与えますね。
サイズに関しては、樹脂フレームということもあり、制限ありますが規格サイズには対応できます。
リーズナブルな価格なので、手に取りやすいという点もよいですね。

興味ありましたら、こちら迄連絡いただけましたら幸いでございます。

本日は以上になります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。