株式会社アルナ aluna

捻くれ


皆様こんにちは

 

山本でございます

 

本日は頭の中でまとまっていない捻くれた考え・愚痴?を少々書かせて頂きます。自分の中の忘備録的な形になりますし、まとまっていません。内容も本当にしょうもないし、だから何と言われたら、こちらも何も申し上げられませんので、唯々愚痴だと思ってください。本日に関しては、私のブログ内容については読まず、商品説明のところまで飛んでいただけたらありがたく思います。

 

 “音楽好き”という言葉に対して、僕は違和感を覚えるというお話し、及び愚痴になります。

 

よく自己紹介や特徴として音楽が好きです。と語る方はいらっしゃいます。僕も楽なので自身のことはそう紹介します。しかし、そこで私、逆に“音楽が嫌いです”と語る方が果たしていらっしゃるのかという疑問が浮かびます。そうです。音楽が嫌いな方なんて、本当に稀なのですよね。食事が嫌いですという方ぐらい見たことも聞いたこともありません。特定ジャンル・ミュージシャン・楽器の好き嫌いはあるにせよ、音楽そのものが嫌いなんてことはまず前提として上がってこない訳です。私がたまたま出会ってこなかっただけでいらっしゃるかもしれませんが。

 

 

 その“嫌い”という前提が余り語られないものに対して、“好き”を主張することに私はとても違和感を感じるんですよね。

ね?だから何?と思われると思うでしょう。

 


食事や睡眠は生理的な行動として存在しますが、 “音楽” は生理的な行動とはまた違います。しかし、 “音” に関しては、心臓のBPMに近いものに、安心感を覚えることや、知らぬ間にリズムをとってしまう。無音が怖い。など生理的な行動・心情と絡みつくものであります。必要不可欠ではないが、生理的な行動・及び心情に対してとても強く影響するものです。

“音”は無機質。

“音楽” はコントロールされた音の流れから繰り出される意味を持ったある意味有機的なものであります。

 

無機質なものも有機的なものも一様にわれわれ人間・生物に対して影響を与えます。

 

 

その影響を与えるものを“音”ではなく自分で選り好みした、“音楽”によって決めるのが“音楽好き”ならそれは違うんじゃないかと思うのです。見切り発信で書き始めましたが、まだまだまとまっていないし、書き終わりそうにないので、この辺でこのお話は終わらせて頂きます。

 

端的に繰り返しになりますが

 

“嫌い”という前提が余り語られないものに対して、“好き”を主張することに私はとても違和感を感じるという というものでした。

多分今後もどこかで更新していきます。

 

 

では本日も弊社の額縁を紹介させて頂きます

今回紹介させていただくのは、こちら“ DL ”です。




見え幅が50㎜とかなり存在感のある額縁となっています。
カラーは
①宗達
②シルバー
の2色になります。


 
フレームは上写真のようになっています。見え幅と比べ、立ち上がりは16㎜となっており中々薄く感じられますね。
こちら” DL ”なんですが面金を付けることもでき


上写真は面金付きのフレームになります。面金の、見え幅は5㎜となっています。
サイズは規格サイズ以外のものにも対応可能ですが、大型サイズの額増に適した額縁ですね。

宗達色では、作品・フレームの存在感がUPするため存在感を主張したい場合は、是非是非こちらの方おすすめです。

ただ注意点として、大きなサイズで額を制作する場合、重量が10kgを超える事があります。取り付けの際は重量にあった金具をお使いください。



興味を持たれましたら、幸いでございます。
その際は弊社まで連絡いただければ、幸いでございます。

本日は以上になります。

最後までお読み頂きありがとうございました。